So-net無料ブログ作成

疎外された「疎外」 その2


 疎外というか疎遠みたいな言葉を、ヘーゲルが使う理由は、「自己意識」にある。

 これを「弁証法」とか言い出すとまた混乱する可能性がある・・・・が、・・・・ヘーゲルの場合、基本的に「弁証法」というのは否定性を産み出す作業のことなので、作用としての自己意識とあまり変わらないとは思う。

 で、とにかく、いったん対象(ヘーゲルの場合「対象」はだいたい「人」とか「精神」です)へ自分自身を預ける・・・というか対象を自分のものとする・・・と想定したうえで、自らを省みる・・・ということを、ヘーゲルはやるわけです・・・・・・それが自己意識ってヤツ。

 その過程は確かに「疎外」と言ってもいいのかもしれないけど、結構積極的にやっているわけで、ヘーゲル左派の皆さんが考えているようなマイナスなイメージではない。






nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

疎外された「疎外」 その1


 ヘーゲルの Entfremdung という言葉は哲学方面では「疎外」と訳されているけど、どうもヘーゲル左派の皆さんが寄ってたかって我田引水してしまった関係で、何が何だかわからなくなっている。

 『精神現象学』で使われているのを見る限りでは、「疎遠」とか「離反」くらいでそれほど深い意味はない。

 だからといって左派の皆さんの「成果」を否定する気はない。

 学問とは我田引水によって為されるものだから。

 で、ヘーゲルの「疎外」をさらに疎外したのがルカーチだったりする。

 おそらく結論ありきで展開しているんだと思うんだが、ヤヤコシいから勝手に強調するんじゃないよ、と怒鳴りたいところだ。

 でも、大人なので黙っていよう。






nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感