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藤井システムの謎 その1


 藤井システムの謎・・・つまり、プロ棋士がシステムを指さなくなった理由をよくわかっていなかったが、ようやく判明した。

 オレに教えてくれたのが、宮本広志『四間飛車vs居飛車穴熊』(マイナビ将棋BOOKS)。

 後手四間飛車の△9五歩型(宮本本では「旧システム」という表記で統一)。

(1)△9五歩△4三銀型は、イビアナには何とか指せるが▲3五歩急戦に弱い。

(2)△9五歩△5二金型は、▲3五歩急戦には何とか対応できるがイビアナ▲8六歩型(▲8六歩を突いてから▲9八香)に弱い。

 言われてみれば、そうかもね、という話だが確証はなかった。

 この本のおかげで、逆に、現時点でどの変化が生きているのかが整理されつつあるのが嬉しい。





コレステロール


 LDL-Cが高い。

 基準値を見れば超えているので、高いといえば高いけど、あまり気にしていない。

 サプリで下げようと考えたが、コレステロールの重要性を考えれば無理に下げてどうするんだとも思う。

 というわけで、血流に良い食べ物を多く摂取するようにしている。




体系崩壊


 ヘーゲルの体系が崩壊しているから素晴らしい。

 捨象せずに否定的なものを内部留保しつつ「次行ってみよう」と言うわけで、ヘーゲルはドリフの中だと長さんの役割になる。

 あれ、何の話だっけ。





ピッツバーグ大学


 ヘーゲル研究は今ピッツバーグ大学で盛んで、肝心のドイツではほとんどメインではないらしい。

 そんなもんだろうな、と思う。





赤羽のマンション


 赤羽駅前の古いマンションが3,580万円という強気の設定でビックリする。

 赤羽駅前5分。60平米弱で築37年くらい。バルコニーは東向きでリノベーション済み。





海外ドラマ


 エレメンタリーはよくできていると思う。





コーヒー


 美味しいコーヒーを飲みたい。





中期保有 [株式投資]


 今は中期保有中心で買っている。

 利益が出なければすぐ売るようにしている。

 難しいことは考えない。




東芝空売り [株式投資]


 1月下旬から東芝を空売りしていた。

 1ヶ月くらい放置したが、上がってきたので利確した。

 これは社会勉強で儲けるつもりはなく、利益が出たのは単なる結果だ。





ヘーゲル その5


 自己意識の話さえ分かっていればヘーゲル思想の基本的なポイントはつかめると思う。

 カントの悟性の特徴と、このヘーゲルの自己意識の特徴は、常識的な発想と違いすこし癖があるので、まずここをしっかりと捉えておかないと、その先に進んでも何のことやらさっぱりわからなくなる。

 で、ここではそれ以上のことはキリがないので辞めておくが、ヘーゲルの理性というか精神(Geist)は実に多彩で、一見何を言っているのかよくわからないので要注意だ。

 個人の精神、共同体の精神、人類全体を通した歴史的な精神、神レベルの精神。

 この4つが同じ精神(Geist)という言葉で語られていて、しかも明確な説明がされていない、というところが、不親切というかわかりにくいところだ。

 確かに自己意思的な運動が、神の視点さえも取り込んで、地球全体宇宙全体まで広がっていくぜ・・・的な広大なロマン主義は、ヘーゲルの時代によくある発想なのかもしれない。

 だが、科学的思考に慣れ親しんだ(・・・そうでもないか・・・)現代人には、ヘーゲル的な発想はやや親しみにくい発想というか、パラノイア的妄想に近いと考えるかもしれない。

 でもまー、少なくとも自己意識という発想は考える意味がありそうだ。

 というわけで、ヘーゲルの話はこれでおしまい。





ヘーゲル その4


 自己意識の続き。

 自己意識は「意識と対象(他者)の一致」を目指すために考えられた、というのが前回の話。

 自己意識はヘーゲルの原理で彼自身は、「自己意識は意識の真理」とさえ言っている。

 そして、その自己意識の単純な形態は欲望だとも言っている。

 この辺りが、ラカンがヘーゲル思想をツマミ食いしていた理由だろう。

 さて、ヘーゲルの自由概念を自己意識を通して語ってみると、「他のもののうちで自己自身の許(もと)にある」となる。

 例えば、法律に従うときに、法律を自分自身のものとして考えているならば、喜んで法律に従うだろう、それが自由だ、という考え方だ。

 もし法律を自分自身のものとして考えないならば、罰則が面倒だから嫌々法律に従う、という考え方になるだろう。

 その法律をまず他者として考え、次に自己意識を通して自分自身のモノと考えられるかどうか。

 この話に納得できるかどうかはともかくとして、「意識と対象(他者)の一致」というのが精神の「運動」として、つまり常にいつでもその「一致」を目指した運動が繰り広げられている・・・これがヘーゲル思想のキモとなる。






ヘーゲル その3


 次は自己意識だ。

 ヘーゲルがカント思想を取り入れた結果、ヘーゲルの頭の中は「意識と対象の一致」が中心的な思考となった。

 意識と対象を一致させて考えるのが理性というわけだ。

 カント的悟性(理性よりやや劣っている理性のライバル)が、対象のすべてを把握できず、その取りこぼしたものが「物自体」として残っている・・・というような中途半端な発想はヘーゲルにはなかった。

 なぜならば、前回書いたようにヘーゲルはスピノザの無限実体的な発想を想定していたから。 

 で、意識と対象を一致させるために、ヘーゲルは自己意識という概念というか発想を持ち出す。

 ここで注意点はヘーゲルは「私が私を直接意識する」という考えではない、常に対象を通して自分を見る、ということだ。

 まー「私が私を直接見る」という発想の方がオカルト的(あるいはラカンの鏡像段階的)でオモシロいことになるだろうが、こういう話はジジェクが得意で、たとえば『否定的なもののもとへの滞留』(ちくま学芸文庫)などを参照してほしい。

 話を戻すと、非常に簡単に言えば、自己意識は「他者を通して自己を見る」ということだ。

 カントのように自然的対象を「通して」という発想ではなく、ヘーゲルの場合は基本的に人間が相手となる。





ヘーゲル その2


 ヘーゲル思想で避けて通れないのはキリスト教だ。

 なぜあのように、「全体主義者」とも一部で言われるような歴史全体を包括するような思想になってしまったのか、という要因が、神の概念だ。

 元々神学校出身だった(そこでシェリングと知り合った)ということもある。

 特にヘーゲルの思想はスピノザの「無限実体」の考え方に影響を受けている。

 無限実体としての神が、有限者としての人間あるいはキリストを「自己意識」として(より高次の段階では)「含んで」いるという発想こそが、ヘーゲルの弁証法へとつながっていった。




ヘーゲル その1


 今さらヘーゲルかよ、と思う方が多い方が多いだろうが、ではヘーゲルの何を知っているのか。

 意外とキモのところを知らないだろうし、オモシロいことにヘーゲルの現代的な研究はアメリカが中心だったりする。

 まず、ヘーゲルはカント的な思想的革命の継承者という意識はあった。

 カントの革命とは何か。

 それは、認識する主体が対象の側に、自らの要素(カテゴリーを)投げ入れることで、対象を把握する、そして、その限りにおいて対象は存在する・・・・という発想。

 要するに、カント以前は「存在(対象)があって、それを認識するから人間の思考がある」だったのに対し、カントは「思考があるから、存在がある」という発想だ。

 確かにそういう意味ではカントは「非常識」的な発想だと思う。

 このあたりの詳細は、黒崎政男『純粋理性批判入門』(講談社選書メチエ)を読みましょう。

 カントの思考のエッセンスを理解できるように、内容を絞り込んでわかりやすく紹介しています。





問題案件


 不良物件を抱えないように、抵抗しているんだが、相手側はなかなかしつこい。

 しかし、こちらは一丸となって抵抗を続けている。 

 頑張ろう。





平日の夜


 仕事で飲みに行った。

 一次会神楽坂、二次会新宿。

 とくに新宿はロックバーで、平日に行ったのが失敗だった。

 半分仕事なので、仕方があるまい。

 両方とも、機会があればまた行きたい店だった。





Gradoはオモシロい その4


 というわけで、上記のような考察によって何が得られるかというと、オレが次に買うヘッドフォンとして相応しいのは旧ドラのPS500だろう、ということだ。

 旧ドラの中ではおそらく一番高域が出ていないモデルのPS500だったら、RS1e相当のMS-PROを気に入っているオレにも入りやすいモデルに違いない。

 ただ、もちろん現行品(PS500e)ではないわけで、中古を探すしかない。

 まーRS1i を探すよりは楽だと思うが。


 以上、推測と思い込みだけでいろいろ書いてみました。





Gradoはオモシロい その3


 現行MS-PROは、ゼンハイザーHD25系と比較すると相当低域を犠牲にしている感じだ。

 その代りイヤースピーカー的に聴かせるリアルさがある。

 てゆーかゼンハイザーとの比較に、あまり意味はなく、試しに書いてみただけだ。

 で、旧ドライバーはなおかつ、高域の強調により、得意のジャンルが限定される。

 つまり、女性ヴォーカルをしっとりと聴くのならマホガニーハウジングの旧ドラがいい。

 独特のさわやかな空気を感じる。

 ジャンルを限定してしまうような潔さが、変態紳士たちの心を打ってきたに違いない。





Gradoはオモシロい その2


 MS-PROといえども、RS1eと比較すると若干チューニングが違うと思う。

 てゆーか、それが狙った差異なのか個体差なのか判然としないところがGradoのおおらかさで、前向きに考えれば、長所だ。

 旧ドラの場合、MS-PROの方がプロっぽい=モニターっぽいという意見がある。

 まーアレッサンドロというブランドの意向は少なくともそうだろう。

 旧ドライバーは、もしかするとモニター用途以上に高域が差さっているので、MS-PROではやや柔らかに調整していた可能性がある。

 ただ、現行eの場合は逆に高域を強調しているのかもしれない・・・よくわからない。

 それでもたぶん変態紳士たちには不満だろう。





Gradoはオモシロい その1


 RS1e相当のMS-PROを所有していて、結構楽しんで聴いている。

 敢えて褒めるならイヤースピーカーみたいなイメージだ。

 で、昔からのGradoファンには、このeシリーズ・ドライバーの評判が悪い。

 なぜかな、とずっと思っていた。

 先日、旧ドライバーを聴く機会があった。

 確かにこの高域音を普通だと思って聴いていたら、eシリーズは「高域音が聴こえない」という話になると思う。

 それくらい劇的に周波数特性が動いている・・・・ような気がする。

 上の方が聴こえないから、初期型ではドライバーを耳に近付けたんじゃないかという邪推も、きっと邪推ではないんだろう。

 だってGradoは民芸品だから。

 あと、確かにドライバーの距離が近すぎると、中域音がはっきり聞こえすぎて・・・つまり間接音が失われて風情が減少する傾向がある。

 GH1という限定品ではeシリーズでもそれなりに高域音は出ていたらしいので、このドライバーでもチューニングできるはず。

 ということは勝手に仕様変更している(あるいは将来的にする)可能性もある。

 てゆーか、オレに言わせれば、そもそも旧ドライバーの高域音は出過ぎてますぜ、旦那。

 これを良しと取るかうるさいと取るかは人によるので何とも言えないが、変態紳士と呼ばれる人たちの求めているものは理解できた。






言葉のあや


 ネットの拾い物。

 オレは渡辺竜王を批判するつもりも擁護するつもりもない。

 これをどう捉えるのかは人によって違うかも。

 報道の側がどう捉えて記事にするのかを含めて考えると、サンプルとして、普通にオモシロい。



産経 10月21日
「疑念がある棋士と指すつもりはない。タイトルを剥奪されても構わない」
と、連盟幹部に強く対応を求めていたことを明らかにした。
http://www.sankei.com/life/news/161021/lif1610210033-n1.html
 ↓
31日、月例報告会後、取材に応じる
 ↓
報知 11月1日01時
「(三浦九段を処分しないなら)竜王戦は指さない(出場しない)。
タイトルを剥奪されても構わない」などと
発言したとされることについても、事実ではないとした。
http://www.hochi.co.jp/topics/20161101-OHT1T50058.html
 ↓
渡辺ブログ 11月1日
・囲み取材を受けましたが、報道された記事でこれでは発言が後退しすぎ
・島さんとの間での言葉のあや
http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/776e356c508c722cdef73bf521b5a6df
 ↓
渡辺ブログ 2月13日
・「剥奪でも構わない」という意思はないし、そんな言葉は使っていません
・人づてに聞いたということで
http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/c61fcd5bda232629aeada12e97965e9f






構想力


 『純粋理性批判』の第二版の書き換えにより、初版では第三の力だった「構想力」は悟性の能力の一つになり下がった。

 つまり、第二版の書き換えがあったからこそ、後のヘーゲルは弁証法を唱えることができたし、ハイデガーは文献の成り立ちを含む詳細を精読するようになった。

 もっというと、その書き換えがなければ、現代のメイヤスーやガブリエルの主張もなされなかった。

 すべてはカントが第三勢力としての構想力を捨て去ったからだ。

 さすがカント。

 素晴らしい。





フリートウッド・マック


 オレの世代でマックと言えば、フリートウッド・マック。

 しかも、ボブ・ウェルチの時代だ。

 あ、それはオレだけか。





思考の方向性


 ただひたすら思考を積み重ね、矛盾を包摂していく。

 その方向性だけを基準とし、思考を進めていく。





信と知メモ [メモ]


 ヘーゲル『信と知』メモ。

 「有限者の観念論」批判。

 「二元論」批判。

 「主観的な、主観-客観」批判。

 「多様性」に対する統一(アプリオリ)。

 「現象」批判。→「三一性」としての悟性。

 「超越論的構想力」の肯定。





ヘッドフォン聴き比べ


 先日、ウルトラゾーンとグラドとゼンハイザーの聴き比べをした。

 ゾネは PRO750。

 グラドはアレッサンドロのRS1e相当機種。

 ゼンハイザーはPX100II。

 ゼンハイの名機HD25-1II ではないところがミソか。

 で、曲はアコースティックギターと女性ヴォーカル・・・つまり前述の「帰れない二人」だ。


 ゾネは空間たっぷりでスタジオの残響音がよく聴こえる・・・というか、そういう音造り。

 グラドは逆に直接音オンリーみたいなニュアンス、この中ではモニターっぽい感じになる・・・ただし、全体に柔らかく、モニターにありがちな刺々しさはない。

 ゼンハイは周波数特性の関係か、ギターの箱の音がまろやかになり、全体に温かい感じ。


 いずれも甲乙つけがたい魅力がある。

 とくにPX100IIのCPの高さには驚かされる・・・堅牢さをまったく感じさせない造りなのに、豊かで贅沢な低音・・・残念ながら生産中止だけど・・・コンパクトでオープンタイプの需要がないということか。

 HD25を聴けば、たぶんモニターっぽい音だと思うが、アコースティックをHD25で聴くことはないので敢えて除外した。







ペンギン村 [将棋カンニング問題]



 総武線沿いにある、人間界から隔離されているペンギン村の話。


 2/27、5人の理事の解任請求を審議する臨時総会が開かれ、青野専務理事、中川常務理事、片上常務理事の三人の解任が決定した。

 なんとまあ。

 いろいろなことを考えてしまう。

 あるいはクーデター的な動きが密かに進行しているのか。

 そういう可能性を考えつつも、「まー勝手にやってください」としか言いようがない。

 村の内部でゴチャゴチャやっているうちは良くならない。

 内ゲバっぽい動きで組織がまともになるなんてこと、あり得ないので。


 ・・・ただでさえ閉鎖的な村が、さらに閉鎖的になっていく・・・ペンギン村に陽は落ちて・・・。







帰れない二人 [superfly]


 superfly が歌うと、荒れた魂に染み入る。





直観


 カントの直観は、基本的に感性的だ。

 ただ、仮に神を考えるならば、自ら直観する知性(悟性)となり、対象を産みだすことができる。

 ・・・できるかどうかは証明できないが、カントの時代では、そういう宗教観が普通だった。






現象 [メモ]


 メモ。

 ヘーゲルによれば、カントの悟性は(産出的構成力がなければ)無、とされる。

 ヘーゲルは、(カントの言う)現象そのものも、無とする。