So-net無料ブログ作成
検索選択

元気


 元気がすべてではないが、少なくとも健康は必要だと思う。

 歳を取って来ると病気との付き合い方も考えないと。






弁証法


 ブランダムがヘーゲルの弁証法を合理的会話空間みたいなイメージだと仮定すると、ヘーゲルをプラグマティズムの領域(矛盾律の否定)へ引っ張り込める、と考えているらしい。

 相当強引な論理だ。

 ところがよく考えてみると、ガブリエルやジジェクのヘーゲル像も相当強引な論理で矛盾律の肯定を展開している。

 ということは、デフレだかインフレだか知らないが、ヘーゲルくらい古い思想家になればどう利用しようと「何でもあり」、「名前を出すだけありがたいと思え」くらいの感覚なのかもしれない。

 確かにポスト構造主義やポストモダンの一連の思想の根底には反ヘーゲルの匂いがプンプンするわけで、それを払拭していこうという、この両端な思想を今後も注目していかねばなるまい。

 いや、なぜ「なるまい」となるのかはよくわかりませんが。






吉井和哉のソロバンド


 さんざんザイエローモンキーがどうしたとかという話になっている中で、昔録画したNHKBSの吉井和哉 covers の2回目を妻と観た。

 2015年の3月放送だってのに未だ観てないとは、どうなってんだお前らは、という感じなんだが、そういう夫婦なので勘弁してください。


 で、まー沢田研二のロック歌謡「サムライ」をカバーしたりしてカッコいいんだが、なんつーか、バンドがまたイイのよね、これが。

 イエモンが子供の成長を見守っていく感じだとすれば、これは最初から完成された大人の味。

 とくにバーニーのギターセンスはベタ過ぎて笑ってしまう。

 「お前それはやり過ぎだろう」というほど、予想通りのベタベタな歌謡ロック的なソロを展開する。

 場末の酒場(昔のキャバレー)の音がする。

 このあたりエマが600人の箱(下北沢)でもドームの音を出していたのとは対照的な感じ。

 逆にエマは場末酒場の音があまり出ないし、てゆーか、出したら違うと思うし、それがまたエマらしさというかイエモンらしさというか。

 まーバーニーはプログレもやるし歌謡曲もやるしハードロックもやるし何でもできる変なオッサンだから、こういうベタベタなのも単なるレパートリーの一つということで片付くんだろうが、それにしても「うますぎて」・・・その曲の雰囲気に合った音を出すという意味でのうまさだが、それで・・・笑ってしまうというのは、あまり経験しないことだ。







ジミ・ヘンその11


 しかし、ジミ・ヘンのソロはファズたっぷりのいい音が聴こえるんだが、カッティングからの切り替えはどうやっているのか、まーその時々で違っているのでしょう。

 あとはワウペダルをどう使うか。

 あるいはユニ・ヴァイブとか。

 弦を抑える右手の握り方とか、ピッキングの角度でも音は変わっているようで、・・・というか、そのあたりを意識して臨機応変に音を作っているジミ・ヘンの凄さが、どの映像でも堪能できます。


 夢見るぞ。


 ああ、ギタリストにならなくて良かった。






ジミ・ヘンその10


 ジミ・ヘンのファッションはロンドンのミリタリー系ファッション・ショップが多かったとのこと。

 何かの映像で、「キッチナー将軍の従者」というふざけた店名とふざけたマネキンが印象的だった。

 たぶんそこで買ったんだろうな。

 元は本物の軍服だろうから安くはないと思うけど。

 パンク・ファッションがマルコムの変な店などが中心だったりしたのと似たような感じか。


 ミリタリー・ファッションを世界に知らしめたのはもちろん、ビートルズのサージェントペバーズだったりするが、まーどうでもいいか。






ジミ・ヘンその9


 そういえばプリンスのファッションはモンタレーのジミのファッションの色違いじゃないのか、と思うときがある。

 まー観てくださいとしてか言いようがないけど。





ジミ・ヘンその8


 ファンク・ギタリストとしてのセンスも相当なもので、Pファンク系やプリンスに多大な影響を与えている。

 というか、モロ・コピーだ。

 ブルース・ギタリストとしても同様だろう。




ジミ・ヘンその7


 とくにそのスペイシーな音はプログレやハードロックの人たちがみな真似した。

 ジミー・ペイジも相当パクったはずだ。

 テルミンを使い始めたのもジミの影響だと思う。


 


ジミ・ヘンその6


 モンタレー・ポップ・フェスティバルの衝撃的な映像がジミ・ヘンのすべてだと思っていたら大間違い。

 ジミの本領は地味な演奏にある。

 いや笑うとこですが。





ジミ・ヘンその5


 で、モンタレーの映像を入手し・・・普通に買った・・・ダラダラ観ていたが、凄い。

 通常のギター技術とエフェクト技、魅せる技、いろいろ複合しているが、音楽自体はしっかりとしていて、歌まで歌っているという、まさに奇人変人の世界。 

 とどめにギターに火をつけて燃やし、振り回して壊すという、今となっては珍しくもなんともないが、当時は相当な暴力シーンとして扱われたことだろう。

 フーのピート・タウンゼントがギターを壊すので有名だったが、結構いい意味でライバル関係だったという話もある。

 また、ジェフ・ベックが映画『欲望』(原作小説はコルタサル)でギターを壊すシーンを撮影しているが、彼はギターを大切にしていたので、相当抵抗があったらしい。また、そのギターは壊していいような安物を与えられたという話もある。





ジミ・ヘンその4


 元々アメリカ人でありながらマネジメントの関係でイギリスで活躍し、イギリスではマイナーながらも名を浸透させていたが、ジミの名をロック界にとどろかせたのは、モンタレーポップフェスティバルでの凱旋帰国演奏だった。

 てゆーか、モンタレーのフェスティバルが、いわゆるロックフェスの走りだったといってよい。この成功が後のウッドストックなどの大イベントにつながった。




ジミ・ヘンその3


 ファズなど、当時出始めたエフェクターをうまく使い、時には好みの音を作らせ、時には作った人間でさえ想像しなかったサウンドを作り、・・・等々、テクニシャンでありながら独創的な音造りにも励み、ギターサウンドの可能性を広げることに貢献した。

 当時のハードロックギタリストのみならず、普通のギタリストに対する影響も計り知れない。

 大物ではポール・マッカートニーが特に評価していたようだ。




ジミ・ヘンその2


 とりあえず、the ultimate experience というベスト盤を持っていて、繰り返し聞いている。

 薄いし軽いし何がなんだか、という感じなんだが、これがファズだワウだ、いやストラトだ、空を見ろ、ジミヘンが飛んでいる、というわけで、ロック・ギターは彼が著しく昇華させたといってよいだろう。




ジミ・ヘンその1


 何度か私的なジミヘンブームがやってくる。

 今がその時だ。




仕事


 仕事は怒鳴り合い。

 仕事は策略。

 仕事はやればやるほど面倒になる。

 それが仕事だ。





傷付け合って生きる


 人間は傷付け合って生きている。

 しかも、同時に傷をなめ合っている。

 実にオモシロい。




ギヤブルーズ


 久しぶりにミッシェルの『ギヤブルーズ』を聴いた。

 今から考えれば、ライブ動員的には彼らの全盛時代といってよいときのアルバムだ。

 勢いがある。

 20世紀末に、こういう音が日本を席巻していた。

 素晴らしいと思う。





なんとなく


 なんとなく「老い」というのを実感するようになった。

 体力的なものというよりは、精神的なものだ。





独り言


 くっそー、次から次へと問題起こしやがって・・・・。

 以上愚痴でした。






実在論は実在するか その2


 意識が取り込んだ外部の情報を元に、どうやら人間認識の外部にさまざまな「モノ」があるらしい・・・とオレたちの脳は感じている。

 単純に言えば、その「モノ」の存在(「あるでしょ!」)を信じているのが「実在論」だ。

 しかし、そもそも「人間の精神の側が感じているもの」と、オレたちがその存在を確信している「外部の世界に存在するもの」を分けて考えるという発想自体が、オロカモノの発想ではないのか、と考えたカシコイ人がいるらしい。

 「外部のもの→なんらかの刺激(視聴覚等)→精神」という一連の流れを一括りにして考えないとダメじゃないの、ということだ。

 このように「一括りにしようぜ」という発想はプラグマティズムっぽいが、それを明確にしたのはデイヴィドソンだろう。例えば、彼の「三角測量」という発想はまさに「一括りにしようぜ」理論だ。 

 で、それを応用して自らへの「相対主義」という批判を弾き返したのがローティ―だったりするんだが、いずれにせよ、「実在論か反(or非)実在論か」という問いは、このような「一括りにしようぜ」主義者にはあまり意味のない議論のようだ。

 さらに、恐るべきことに「相対主義か客観主義か」という議論さえ無意味化してしまう。

 もっとさらに言うならば、デイヴィドソンやローティ―でさえもまだ徹底されていない、と考える人がいたりするものだから、思想というのはオモシロい。





実在論は実在するか その1


 メイヤスーやらガブリエルを読む羽目になって、なかなかメンドクサイことこの上ないんだが、それでもまー分析哲学やプラグマティズムを読むよりはまだ違和感なく読めた。

 それほどオレの感性は分析哲学やプラグマティズムから遠く離れている。

 もともとヴィトゲンシュタイン系(あくまでも自称)だし、マッハ好き(自称)だし、クリプキも好き(自称)だし、最近ではブランダムを読んでいるし、もしかするとオレは分析系の人間ではないかと勘違いすることもあったんだが、それは無理だしウソだし冗談だった、申し訳ありません。

 で、メイヤスーとかMガブリエルを一括りにするなら「実在論」なんだが、しかし、実在論という言葉ほど曖昧なものはない。

 前にも書いたが英語だと realism リアリズムだ。

 つまり、なんじゃこれ、というのが実在論の正体だ。





奨励会員


 将棋のプロの卵を奨励会員という。

 年齢制限でプロになれずに世に放たれた者を「元奨(モトショー)」と呼ぶらしい。

 幸いなことに、奨励会にも元奨にも知り合いはいないので、あまり関係ないような気がするんだが、ときどき変な夢を見る。

 障害をもつ奨励会員の闘い・・・という話。

 詳細は省くが、どうしてこういう夢を見るのか不思議だ。





所与の神話 [メモ]


 メモ。セラーズの所与の神話批判。

 外的な刺激が生のデータとして直接に与えられ、その刺激を自分の思考の形式にあった形に加工して、心の中で表象したり思考したりしている・・・・という考え方。

 このような、認識の正当化を意図した企ては無意味な作業だ・・・by セラーズ。

 さまざまな認識は、それぞれの認識が所属する「理由の空間」という規範的領域においてこそ、その正当化が判定される。

 →その規範のもとで展開される対話的真理の追究重要性

 そこから反表象主義と反権威主義を導き出すだけだったローティーは中途半端ではないか by マクダウェル & ブランダム


※マクダウェル⇒「人間としての経験に即した客観性」という概念の回復

※ブランダム⇒「人間の言語行為の核心=理由を与えたり求めたりする推論的ゲーム」、「主張の言語ゲームにおける重要性」、「言語ゲームにおけるコミットメントとエンタイトルメントの視点の重要性」





表象主義 [メモ]


 メモ。ローティーの反表象主義。

 表象主義。

 認識→自然的対象の内的反映。

 近代哲学中心だけではなく、論理実証主義にもまた維持された考え方。

 反表象主義≒「傍観者的知識観」批判 by デューイ

 反表象主義・・・「言語分析の手法」も批判の対象 (表象のみならず言語も同様)






ローティーの思想 [メモ]


 メモ。

 認識論・・・反基礎付け主義。

 真理・・・・・反本質主義。

 言語・・・・・反表象主義。 

 あらゆる知的活動には優位劣位がないとする、多元論。

 客観的真理は、人々が「連帯」という形で共有できる信念。

 相対主義。自文化中心主義。





論理実証主義とプラグマティズムその2 [メモ]

 
 メモ。クワインの議論。

 経験主義の独断。

(1)分析的命題と総合的命題は明確に区別できる。

(2)経験的命題はその一つ一つについて、感覚的経験に結びついた(実証的な)言明に帰着されることができる。


(2)への反論

 デュエム。

 経験的命題→真なる言明の候補となった場合。

 ⇒テストされる仮説はそれ自体で単独に経験による実証を受けるのではなく、さまざまな仮説的信念のネットワークや言明のシステム、あるいは体系的理論の全体とともに検証される。


(1)への反論

 論理実証主義では経験的内容のある命題(総合的命題)と、経験的内容のない命題(分析的命題)の二つがある、されている。

 経験的内容のある命題では、上に述べたように経験情報に応じて総合的に真偽を総合的に判断する。

 分析的命題では、A=Aという同語反復的な真理証明ができる、とされている。

 しかし、この一見同語反復的な「分析的命題」を検証することは簡単ではないはずだ。

 例えば、「独身男性は未婚だ」。厳密に言うと「未婚」という言葉は経験的なもので、経験的な性質についての言明は、単独の言明として実証できるのではない。これもまた「総合的」に判断しなければならない。

 とするならば、分析的命題と総合的命題の区別自体が、曖昧で不確定な区分ではないのか。

⇒哲学のプラグマティズム的回帰




論理実証主義とプラグマティズムその1 [メモ]


 メモ。論理実証主義とプラグマティズム。クワインの議論。

・共通性

 信念や認識の経験的優位性を重視。

 アプリオリなもの、原理的なものを出来る限り排除するという姿勢。

・相違性

(1)真理を「有用性」と見るタイプの(ジェイムズ的)プラグマティズムと、論理実証主義は、「事実」と「価値」の関係において違っている。プラグマティズムは「価値」、論理実証主義は「事実性」を重視する。

(2)ジェイムズ的プラグマティズムによると、信念の有効性をは発揮するのは、無数の経験からなる「経験の宇宙」がその全体において生きていること。論理実証主義では、認識における全体論を重視しない。その真偽は経験ごとに別々。





ブランダムの戦略その3 [メモ]


 メモ。ヘーゲル的なもの。


・自然と文化の乖離。

 ⇒文化→精神科学→概念使用(者)

 
・概念的規範に対するプラグマティズム

 ⇒責任、社会的地位→社会的実践





楽観主義と・・・


 ブランダムの明示性へのこだわりは、合理性、論理的一貫性への信頼性にあるだろう。

 精神分析には、「無意識は、意識と矛盾するから無意識だ」という前提があるため、論理的一貫性に依存することはない。

 それが精神分析の幸運で、かつ不幸だ。

 つまり、合理性に対する楽観主義と悲観主義だ。




ロック


 オレたちはロック・ミュージックの乗り物か。