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後期シェリングかヘーゲルか


 後期シェリングかヘーゲルか、という違いなどあまり気にしたことはないが、M・ガブリエルの主張を読むにつけ、構築主義から抜け出す方向性で考えないと、「新しさ」をアピールしにくいのか、と。

 新実在論が、プラスアルファとしての実在論を構築主義に加えただけだと言われてしまうのは、やや変な感じがするが、それよりも「自己規定(自己言及)の問題」と「思考の外」というテーマで何か新しいものができないか、と苦心した結果なんだろうと推測する。

 だったら、思考のうちに実在論由来の矛盾を持ちこんだヘーゲルとの差異はそれほど大きくない。

 違いがあるとすれば新しいものと感じさせるかどうか、しかない。

 とはいえ、思想もある意味ビジネスなので、「メイヤスーとは違うしもちろんヘーゲルとも違う。それはつまりこういうことです・・・・」と主張するだけで、チヤホヤしてもらえそうだ。





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何を読むか その2


 とはいえあまりにも「現代的な文体」が気になって仕方がないときがある。

 そういう時は旧仮名遣いの文章を読んで感覚を修正する。

 丸谷才一とか福田恆存とか。

 感覚の問題なので、修正は可能だ。





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何を読むか その1


 文体が合わないと読みにくい。

 大抵の思想書は面倒な書き方をしているので読みにくい・・・しかし読みにくいからといって読まないわけではない。

 内容がオモシロければ文体など関係なくなる。





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寒いので鍋 その4


 毎日鍋でもいい。





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寒いので鍋 その3


 しゃぶしゃぶもいい。




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寒いので鍋 その2


 魚の鍋がいい。




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寒いので鍋 その1


 寒いときは鍋料理。




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規定と出来事


 物自体とか実体というものの一部を表象として認識した途端に、概念の世界に入るので、より広い関係性の中で規定される。

 このような、一般的な哲学的発想は、「出来事」とは何かを想像することを可能にする。

 すなわち、何らかの要因により、ある表象が関係性を失った場合、それは「出来事」として機能する。

 そして、「出来事」から派生するモノは、物自体と似たような効果がある。

 そんなオレたちの経験が、「物自体の不可能性」として、思想の中で語られることが多いようだ。

 おそらく「何らかの要因」というのは脳による「認識エラー」の類だろう。

 さらにもっと「認識エラー」について語ろうとすれば、精神分析的な経験が有効になる。

 あるいはアルツハイマーの経験か・・・・。





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私と自明


 「私は私だ」と記述することの自明性とは何か。

 この場合主語の「私」と述語の「私」はどのようにして一致するのか。

 うーむ、まるで哲学のような問いだ。





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物自体と私


 物自体をどう考えるか、という問いに対してカントが「物自体を考えるのは無理でんがな」と答えて以来、哲学は新たなる展開を示していた。

 そのような外的世界をどう捉えるか、という設問だけなら、科学的な実在論・・・「必ず、将来、宇宙、極小的世界、あるいは宇宙の始原といったものが判明するはずだ」という楽観的な方向性・・・によって応えることができるし、実際その方向で進んでいる(単にひとつの可能性に過ぎないが)。

 しかし、真の問題は、物自体を把握しようとする「私」とはいったい誰なのか、ということだ。

 「私」をどう規定するのか、というのは非常に難しい。

 一番極端なのはキエルケゴール(単独者)やマックス・シュティルナー(唯一者)だろう。

 ただ、これらの極端に自立的な「私」の姿は、オレには何かの反動にしか感じられない(道徳的定義としてなら理解できるが)。

 あるいはフッサールのように「間主観性」として定義できるのか。

 さらには構造主義的な定義付けがいいのか。

 ・・・等々。

 この問題は科学では考えられない。

 考えられないことには、沈黙するしかない・・・のか。




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